
これは、僕が20歳くらいの頃の話。
当時、僕は福岡に住んでいました。
そして、ものすごく福岡のコーヒー文化にハマっていました。
福岡には魅力的なカフェがたくさんあって、暇さえあればカフェ巡り。
一日に2軒くらいカフェに行くことも普通にありました。
いろんなコーヒーを飲んで、
「この豆おいしいな」「この店の焙煎好きだな」
なんて考えながら、家に帰ってからもまたコーヒーを淹れる。
気づけば、一日に3〜4杯。
それが僕にとっての「普通」になっていました。
朝は菓子パンとコーヒー。
昼間はカフェでコーヒー。
家に帰ってからもコーヒー。
そして、お菓子を食べながらまたコーヒー。
今思えば、かなりコーヒー漬けの生活でした。
ある日、身体がおかしくなった
そんな生活をしていたある日。
身体にかなり大きな不調が出ました。
たしか、お腹だったと思います。
「これ、ちょっとやばくないか?」
「もしかして癌なんじゃないか?」
当時の僕は本気でそんなことを考えるくらい、身体の調子がおかしくなっていました。
もちろん、実際に何が原因だったのかは分かりません。
ただ、その時にふと思ったんです。
「もしかして、コーヒー飲みすぎなんじゃないか?」
だったら、一回やめてみよう。
そう思いました。
とりあえず1か月。
コーヒーをやめてみよう。
そう決めて、僕は突然コーヒーを断ちました。
コーヒーをやめたら、まさかの離脱症
「コーヒーをやめるくらい、大したことないだろう」
当時の僕はそう思っていました。
でも、全然そんなことありませんでした。
まず、頭痛。
これがかなりひどかった。
最初の2〜3日くらいは、とにかく頭が痛い。
そして、関節も痛い。
筋肉もなんだか痛い。
ちょっと動くだけでも、
「痛いな……」
という感じ。
「これがコーヒーの離脱症ってやつか……」
と、身をもって感じました。
僕の場合は、長年というほどではなかったものの、毎日3〜4杯くらい飲む生活が当たり前になっていた。

もちろん、ここで書いているのはあくまで僕自身の体験です。
医学的にすべてがコーヒーによるものだったと断定できるわけではありません。
でも、当時の僕にとってはかなり印象的な経験でした。
コーヒーが飲めないことより、カフェに行けないことがつらかった
数日すると、身体の痛みは少しずつ落ち着いてきました。
でも、別の問題が出てきました。
「コーヒー飲みたい」
という気持ちです。
コーヒーって、ただの飲み物じゃなかったんですよね。
僕にとっては完全に「嗜好品」でした。
コーヒーを飲みながらお菓子を食べる。
コーヒーに合うお菓子を探す。
いわゆるコーヒーペアリングみたいなことも好きでした。
ワインに合う料理を探すように、
「このコーヒーにはこのお菓子だな」
みたいな。
だから、コーヒーをやめるということは、その楽しみまで一緒に手放すことでした。
紅茶を飲んだり、お茶を飲んだり。
ハイビスカスティーを飲んだり。
抹茶ラテを飲んだり。
いろいろ試しました。
でも、
「いや、これじゃないんだよな」
という感じ。
そして一番つらかったのが、カフェ巡りです。
大好きだったカフェに行っても、コーヒーが飲めない。
メニューを開いて、
「コーヒー……飲めないな」
となる。
結局、ティーとか別の飲み物を頼む。
もちろん、それはそれでおいしい。
でも、当時の僕にとっては、
「コーヒーが飲めないなら、そもそもカフェに行く意味あるのかな」
くらいの感覚でした。
自然とカフェに行く回数も減っていきました。
これが結構つらかった。
1〜2週間すると、不思議な変化が起きた
そんな生活を1日、1日と続けていきました。
すると、1〜2週間くらい経った頃。
「あれ?」
と思いました。
なんか、頭がすごくスッキリしている。
思考がクリアなんです。
それまでの僕は、コーヒーを飲むと頭がシャキッとすると思っていました。
でも、コーヒーをやめてしばらく経つと、
「そもそもコーヒーを飲まなくても、頭ってこんなにスッキリしてるんだ」
という感覚がありました。
そして、妙に落ち着いている。
焦っていない。
静か。
なんというか、世界が明るく見える。
夢の中にいるような、不思議な感覚でした。
もちろん、これも僕個人の体験です。
コーヒーをやめれば誰でもこうなる、という話ではありません。
ただ、僕にとってはかなり印象に残っています。
「もしかしたら、今まで自分はコーヒーで無理やりスイッチを入れていたのかもしれないな」
そんなことを考えました。
1か月後、僕はカフェラテを飲んだ
そして、1か月が経ちました。
僕の「コーヒー断食」は終了。
さて、久しぶりに何を飲もうか。
なぜか僕が選んだのは、カフェラテ(エスプレッソとスチームミルクを合わせた飲み物)でした。
普段はドリップコーヒーを飲むことが多かったので、自分でもちょっと意外でした。
そして、久しぶりに飲んだカフェラテ。
これが……
めちゃくちゃおいしかった。幸福感に溢れました。雲の上にいました。悟るとこんな気分になるのかなと思いました。
なんというか、
「世界、平和だな」
と思いました(笑)。
本当にそれくらい、穏やかだったんです。
以前だったら毎日のように飲んでいたものなのに、1か月離れただけで、ものすごく特別なものになっていた。
そして面白いことに、そこからまたコーヒーを毎日3〜4杯飲む生活には戻りませんでした。
最初は3日に1回。
そのうち2日に1回。
そして1日1杯くらい。
でも、
「絶対に毎日飲まなきゃ」
という感覚はなくなっていました。



コーヒーをやめて、一番変わったこと
今振り返ると、コーヒーをやめたことで一番変わったのは、
「コーヒーを飲まなくてもいい」
と思えるようになったことだと思います。
これ、当たり前のようで、当時の僕には当たり前じゃなかったんですよね。
カフェに行ったらコーヒー。
朝はコーヒー。
お菓子にはコーヒー。
休憩したらコーヒー。
なんとなく、
「コーヒーがある生活」
が前提になっていた。
でも今は違います。
カフェに行って、
今日はなんか甘いものが飲みたいな
と思ったら、ジンジャーエールを頼むこともある。
自家製レモネードがあったら、それを頼むこともある。
暑かったらアイスコーヒー。
寒かったらホットコーヒー。
紅茶が飲みたい日もある。
お茶の日もある。
その時の自分が飲みたいものを選ぶ。
それだけ。
でも、その「それだけ」が、僕にとってはものすごく大きかった。
依存していたからこそ、自由になれた
コーヒーをやめたことで、
「自分はコーヒーに依存していたんだな」
と気づきました。
もちろん、「依存」という言葉を医学的な意味で使っているわけではありません。
ただ、生活の中でコーヒーの存在が大きくなりすぎていた。
- コーヒーがないと嫌
- カフェに行ったら絶対コーヒー
- コーヒーに合うものを選ぶ
そんな状態だったんです。
でも、一度離れてみたら、
「あ、別にコーヒーじゃなくてもいいんだ」
と分かった。
そして、それからはいろんなものを楽しめるようになりました。
コーヒーも好き。
紅茶も好き。
お茶も好き。
レモネードも好き。
その日の気分で選べばいい。
何か一つに縛られなくていい。
僕にとっては、それが「自由」でした。
「自分が選ぶ」という感覚
今思うと、この経験はコーヒーの話だけじゃなかったんだと思います。
何かにハマること自体は悪いことじゃない。
好きなものがあるのは楽しい。


でも、いつの間にか、
「それがないとダメ」
になってしまうと、少しずつ自分の選択肢が狭くなる。
コーヒーを飲むか飲まないか。
何を飲むか。
どんなものを食べるか。
本当は自分で選べる。


でも、習慣になってしまうと、それを自分で選んでいることすら忘れてしまう。
だから、あの1か月のコーヒー断ちで僕が得たものは、
「コーヒーをやめること」
ではなく、
「自分で選べる」という感覚だったんじゃないかなと思います。
コーヒーを飲んでもいい。
飲まなくてもいい。
毎日飲んでもいい。
3日空けてもいい。
カフェラテでもいい。
ドリップでもいい。
紅茶でもいい。
レモネードでもいい。
その時の自分が選べばいい。
それだけ。
あの頃の僕にとって、コーヒーは少し人生を支配していた
20歳くらいの僕は、本当にコーヒーが好きでした。
福岡のカフェを巡って、いろんなコーヒーを飲んで、家でも淹れて。



今でもコーヒーは好きです。
だから、コーヒーを嫌いになったわけではありません。
むしろ、今でもカフェに行けばコーヒーを飲むことがあります。
ただ、
「コーヒーじゃなきゃダメ」
ではなくなった。
これが大きい。
好きなものを好きなまま楽しむ。
でも、それに人生を握られない。
僕はあのコーヒー離脱症の経験を通して、そんなことを少し学んだ気がします。
当時は頭痛も関節痛もつらかったし、
「なんでこんなこと始めちゃったんだろう」
と思いました。
でも、1か月後に久しぶりのカフェラテを飲んだときの、あの静かな幸福感。
そして、
「別に毎日飲まなくてもいいんだ」
と分かったときの感覚。



何かに依存しているときは、そのものを失うことが怖い。
でも、一度離れてみると、「なくても大丈夫だった」ということに気づく。
そして戻ってきたときには、「選んで楽しむ」ことができる。
あの頃の僕にとって、コーヒー断ちはそんな小さな「自由の練習」だったのかもしれません。
そして今でも、カフェのメニューを開いたときに思います。
今日は何を飲もうかな。
コーヒーにしようかな。
それとも、レモネードにしようかな。
そんなふうに、その日の自分で選べることが、なんだかんだ一番楽しいんですよね。








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