
今までの経験を通して、僕は「三大欲求の正体」に少しだけ迫った気がしています。
なぜなら、私たち人間になぜ三大欲求があるのか、その理由の一端を垣間見たような気がしたからです。
結論から言うと、
三大欲求は、身体・心・脳を充電するためにある。
そして、もっと深いところまで見ていくと、
私たちが一度「宇宙に還る」ための休憩時間なのではないか。
そんなふうに感じています。
僕はずっと、身体感覚を大切にしてきました。
言い換えるなら、身体で「感じる」ということ。
この地球で人間として生きている以上、私たちは物理的な「體」を持っています。
だからこそ、豊かな感受性や五感を持ち、この身体を通して世界を感じることが何より大切なのではないかと感じています。
セラピストになったことをきっかけに、自分の意識をどんどん身体へ向けるようになりました。
呼吸。
姿勢。
触れること。
食べること。
眠ること。
快・不快。
緊張と脱力。
身体について研究すればするほど、それまで頭だけでは分からなかったことが、身体を通して少しずつ分かるようになってきました。
その中の一つが、「三大欲求」でした。
今回は、僕が身体を通して感じた三大欲求の正体についてお話しします。
三大欲求の正体とは?

まず、三大欲求は、人間がこの世界で生きていくための根源的な欲求として語られるものです。
- 睡眠欲
- 食欲
- 性欲
僕は、この三つをとてもシンプルに、
三大欲求 = 充電
だと考えています。
私たちは毎日、この地球で人間として活動しています。
考える。歩く。働く。
人と関わる。感じる。
悩む。愛する。
それらすべてにエネルギーを使っています。
だから、活動し続けるだけでは生きていけません。
どこかで立ち止まり、補給し、回復する時間が必要になります。
それが、三大欲求なのではないでしょうか。
睡眠欲 = 脳の充電
なぜ人間は人生の大きな割合を眠って過ごすのでしょうか。
ただ、睡眠中に脳や身体ではさまざまな回復・調整が行われていることが分かっています。
記憶を整理する。
学習した情報を定着させる。
脳や身体を休ませる。
ホルモン分泌を含め、身体の回復に関わるさまざまな働きが進む。
起きている間、私たちの脳には膨大な情報が入ってきます。
- 目から入るもの
- 耳から聞こえるもの
- 人との会話
- 仕事
- SNS
- 考え事
- 未来への不安
- 過去から引きずっていること
それらを抱えたまま、永遠に活動し続けることはできません。
だから一度、目を閉じる。
外の世界との接続を弱める。
何時間か、この世界から離れる。
そして目覚めると、また新しい一日を始められる。
そう考えると僕にとって睡眠は、
脳を中心とした、心身の充電時間
のように感じられます。
食欲 = 身体の充電
食べることは、生きること。
私たちは日々活動するために、エネルギーを使っています。
歩くことも、呼吸することも、身体を温めることも、心臓を動かすことも、身体を修復することも、すべてエネルギーなしではできません。
その失ったものを補い、身体をつくる材料を取り入れる。
そのために「食べる」という行為があります。
怪我をしたとき。
病気になったとき。
疲れ切ったとき。
身体が回復していくためにも、栄養やエネルギーが必要になります。
だから僕は、
食欲は身体を充電するための欲求
なのではないかと感じています。
そして食べるという行為を身体感覚から深く見ていくと、とても不思議です。
外側にあったものが、自分の内側へ入ってくる。
そして消化され、吸収され、やがて自分の身体の一部になっていく。

性欲 = 心の充電
そして、僕にとって最も興味深いのが性欲です。
性欲は単純に「子孫を残すための欲求」と説明されることがあります。
もちろん、生殖という大きな役割があります。
でも、人間の性を実際の身体感覚から見ていくと、それだけでは説明できない何かがあると僕は感じています。
愛する人と時間を共有する。
裸になり、自分をさらけ出す。
触れる。
触れられる。
目を見る。
呼吸を感じる。
身体の温度を感じる。
そこに深い安心があれば、心は少しずつほどけていきます。
身体を重ねること。
目合う(まぐわう)こと。
性欲を満たすこと。
それは僕にとって、私たち自身が「性」から生まれてきたという事実を尊び、祝福する時間でもあります。
そして、
「自分はここにいていい」
と、自分の存在そのものを身体で肯定する時間でもあるように感じています。
もちろん、性行為をすれば必ず心が満たされるという意味ではありません。
安心のない性もあります。
孤独を深める性もあります。
自分を傷つけてしまう性もあります。
だからこそ僕がここで言う「性欲 = 心の充電」とは、単純に性的な刺激を満たすという意味ではありません。
安心できる相手と、自分を隠さず、身体と心を開きながら深くつながる。
そのような時間の中で、心が満たされていく。
僕はそれを何度か身体で経験してきました。
だから僕にとって性欲は、
心を充電するための欲求
でもあるのです。
三大欲求の本当の正体は「宇宙に還る時間」?


セラピストになってから、僕は意識を身体へどんどん戻していきました。
すると、以前より五感が開き、「感じる力」が深まっていきました。
その結果、食べるとき、そして目合うときに、それまで経験したことのないような感覚を味わうことがありました。
それは、
自分が宇宙や万物――この世に存在するすべてのものと、どこかでつながっている。
という感覚でした。
例えば、目の前の食卓に並んでいる食べ物。
一見すると、自分とはまったく別のものに見えます。
野菜は野菜。
米は米。
水は水。
そして、僕は僕。
でも、それを口に入れる。
噛む。
飲み込む。
消化する。
吸収する。
すると、「自分とは別のもの」だったはずの食べ物が、自分の一部になっていきます。
別々だと思っていたものが、実は完全に切り離されたものではなかった。



つまり、私たちはみんな、突き詰めれば同じものでできている。
僕はそれを「宇宙の粒子」だと感じています。
僕はそのことを、ビリビリとした電気信号のような、快感のような身体感覚を通して感じたことがあります。
そして目合ひでも、似たようなことが起こりました。
自分と相手。
本来は二人の人間です。
でも深いところまで入っていくと、一瞬、二人の境界線がなくなったように感じる。
どこからが自分で、どこからが相手なのか分からなくなる。
「二人」という感覚が薄くなり、一つになったような感覚になる。
この二つの体験を通して、僕はあることを感じました。
もしかすると三大欲求とは、単なる「充電」ではないのではないか。
一度、宇宙に還るための時間なのではないか。
もっと僕なりの言葉で表現するなら、
宇宙に還る休憩時間。
です。
私たちは「地球ゲーム」の途中にいる


何の休憩時間なのか。
僕はそれを、
「地球ゲーム」の休憩時間
だと感じています。
一体何を言っているのか、正直、僕自身にもよく分かりません。co
かなりマニアックで、クレイジーなことを言っているかもしれません。
もちろん、ここから先は科学的な話ではありません。



私たちがこの地球へ来る前、「すべて」だったのではないかと感じることがあります。
宇宙でもある。
万物でもある。
自然でもある。
あるいは、「無」や「黒」のような、まだ何者でもないところから来たのかもしれません。
そして死んだら、おそらくまたそこへ還っていく。


今の私たちは、その間にいます。
人間という「體」を持って、この地球を体験している。
見る。
聞く。
触れる。
味わう。
恋をする。
傷つく。
喜ぶ。
悲しむ。
何かをつくる。
誰かと出会う。
そして、いつか死ぬ。


それが一つの壮大な「地球ゲーム」なのだとしたら。
ゲームに無我夢中になっていたら、当然疲れてきます。
どれだけ面白いゲームでも、ずっとプレイし続けることはできません。
一度コントローラーを置いて、休憩する必要があります。
もしかすると、そのために三大欲求があるのではないでしょうか。
眠る。
食べる。
愛する。
その瞬間だけ、私たちは「人間として頑張ること」を少しやめる。
考えることをやめる。
境界線をゆるめる。
そして、自分がもともといた大きな場所へ、一瞬だけ還る。
そこで充電して、
また目を開ける。
また立ち上がる。
またこの世界を歩き始める。



三大欲求は「人間をやめる時間」なのかもしれない
この記事を書きながら、最後にもう一つ気づいたことがあります。
三大欲求に共通しているのは、
自分という境界線が薄くなること
なのかもしれません。
眠っているとき。
私たちは、自分が誰なのかさえ忘れています。
名前も、仕事も、肩書きも、悩みも、銀行口座の残高もありません。
ただ眠っています。
食べているとき。
自分の外側に存在していた命が、自分の内側へ入り、自分の一部になります。
「自分」と「自然」の境界線がなくなっていきます。
そして深く目合っているとき。
自分と相手の境界線が、一瞬消えてしまうことがあります。
二人だったものが、一つになる。
こうして見ていくと、三大欲求はすべて、
「私」という存在を一度ゆるめる行為
なのかもしれません。
私たちは普段、
「私は私だ」
という感覚を持って生きています。
名前があります。
身体があります。
人生があります。
過去があります。
未来があります。
でも、もしかすると私たちは時々、その「私」を休ませなければ生きていけないのかもしれません。
だから眠る。
だから食べる。
だから誰かを求める。
そしてほんの一瞬、
自分という境界線を忘れる。
宇宙に還る。
充電が終わったら、
また「私」に戻ってくる。
目を覚まし、
身体を動かし、
この地球で続きを始める。
そう考えると、三大欲求というものが、僕にはとても美しいものに見えてきます。
眠ることも、食べることも、愛することも、地球で人間を続けるために用意された小さな「帰還」なのかもしれません。
そして私たちは今日も、何度も宇宙へ還りながら、また人間に戻ってくる。
この「地球ゲーム」を、
最後の日まで味わうために。

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